昭和20年9月27日、昭和天皇と連合国最高司令官マッカーサーの
第1回会見が行われた。
この時、昭和天皇は
「私は、国民が戦争遂行にあたって行ったすべての決定と
行動に対する全責任を負う者として、
私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためお訪ねした」
と語り、
マッカーサーは「大きな感動に揺すぶられた」という
(『マッカーサー回想記』)。
だが、そこで通訳を務めた奥村勝蔵氏の記録「御会見録」
(外務省の用箋を使用)には、そのようなご発言は全く見えない。
果たして、昭和天皇は本当にそのようなご発言をされたのか。
『昭和天皇実録』では、
奥村の記録とマッカーサーの回想記の両者を取り上げ、
「両論並記」の形になっているようだ。
この種の編纂物としては当然の態度だろう。
だがこの問題は、既にほぼ決着がついている。
第8回以降の通訳を務めた松井明氏が、
「天皇が一切の責任を一身に負われる旨の発言は
通訳に当たられた奥村氏に依れば余りの重大さを顧慮し
記録から削除した」と証言されているからだ。
しかも、当該ご発言を削除していない記録(宮内省の用箋を使用)も
作られていたようで、それは昭和天皇のお手元に留められたという
(藤田尚徳氏『侍従長の回想』)。
このあたり、詳しくは拙著『皇室論』(青林堂)参照。
なお、奥村氏の証言によると、第1回会見の時、
マッカーサーは昭和天皇に対し「His Majesty(陛下)」
という敬称を一切、使わなかった。
だが、次に彼が通訳に当たった時は、
終始この敬称を使用したらしい(『国際時評』昭和48年6月号)。
これも、第1回の「感動」によるものだろう。